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| 添乗員の思い出 |
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昭和60年、愛媛の大学を出て旅行会社に就職した。
田舎者の私は旅行会社の最終面接が英語面接とは知らずに、外人との面接に極度の緊張状態に陥り落選した。しかし、どうも納得がいかず当時の社長様宛に、正直文句の手紙となんでもやるから・・・ともかく考え直して・・・俺を取ってくれという手紙を書いた。不思議なものだ・・それで合格になった。おまけに、その旅行会社で就職した学生の人気NO1の都内の海外旅行支店にアサインされた。

昭和63年 ハマトラが流行しアイビールックな作者(写真左)
僕は添乗員は片言の英語が話せれば十分だと思う。いや逆に語学が堪能だと・・・失敗することが多い。
僕は旅行会社の社員としては営業能力にたけているわけではなかった、しかし添乗だけは実にたくさんのお客様から感謝のお手紙などを頂くことができた。もちろん若いうちは失敗の連続だった。
もし、後輩で旅行会社に入りたい、就職したいと思っている人がいれば、ともかく必死でやることを忘れないでと言いたい。必死にやる添乗員ほど、海外でツアーのお客様がホテルに着いたらお客様の全部屋を全部屋まわるに違いない。夕方の食事のレストランがあるなら、そこまで足を運びあらかじめ土地勘を体にしみこませ、レストランのメニューを確認し、チップを渡し景色のいい窓際をKEEPする。特にワインなどは・・・あらかじめお勧めの赤白の銘柄を聞いておくだけで、にわかソムリエ気分である。
(中略)
この添乗員の思い出は・・・私の簡単な旅行メモの一部なんです。
徐々に書き足して行きます!
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